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年明け一発目の更新が、すっかり遅くなってしまいました。いまさらですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年もザカリアス熱をまき散らしつつ、体内のさまざまな毒素をすっきり排出していきたいと思いまーす。
さてさて、ほんといまさらですが、みなさまはどんなお正月をすごされましたか?わが家はですね、おたがいの実家が近くにあるので、それぞれの実家をたずねてお節を食すっていうのがここ数年の習わしです。 んで、わが実家では、この時とばかりに家長ぶりを示したい父が、おもむろに「今年の抱負を言いなさい。ハイ、君から」と、ふるんですね。別にこれ、私たちが子供の頃から脈々と受け継がれてきたお正月のきまりごとってわけでもなく、ある時突然はじまったんですね。(それも子供がみんな成人してから。…遅くないか?)というわけで、最初は面食らっていた私もマークも、年末になると密かに「えーと、来年の抱負、どうする?」と話題にするのがいつの間にか癖になってしまいました。 でもこの抱負というヤツ、じつは結構気に入って、ここ数年はマジメに取り組んでるんです。ちなみに一昨年が「きちんと怒る」。昨年が「お金の話ができるようになる」と「困った時こそ笑う」。上司もいない、同僚もいない、達するべきノルマもない私のようなフリーランスって、ついつい自堕落な方向にいきやすいんですね。最低ラインさえ守っておけばま、いいか、と。そこで、抱負を掲げて身を引き締めよう!と安易に思いついたわけですが、これがなかなか効果アリ。 例えば昨年の年明け早々、支払遅延が起こったんだけど、こういう明らかに先方が悪いケースでも、「っつーか、それ、ヒドくね?この鬼畜!!!」と心の底では思うものの、自分の弱い立場を考えるとつい「…ハァ…そりゃしょうがないですね…ハハハ」と情けない愛想笑いを浮かべてしまったりする。でも「怒る」「お金の話」と合わせて2年分の抱負を念頭に置き、密かに簡易裁判の手続きを調べたり、公正取引委員会に問い合わせたりとかなり積極的(戦闘的?)に対処いたしました。うん、もちろん笑いながらね。…最終的には第三者の立ち入りで事無きを得ましたが。 さて今年の抱負ですがタイトルに掲げたとおりであります。ゴルゴのように生きる。…というと、スナイパーを目指してるように聞こえるので、ゴルゴのように暮らす。というべきか。 ゴルゴとはもちろん、あのゴルゴ13です。ハードボイルドな男のバイブル、ゴルゴ13。さいとうたかをのゴルゴ13。1960年代から執筆されてるゴルゴ13。私もそうだったけど、ゴルゴ13って、あれだけ知名度があるのにちゃんと漫画を読んだことあるって人は意外に少ないのではないでしょうか。パロディとかはよく見るけどさ。 なんでいまさらゴルゴかといえば、年末に友達が「いらなきゃ捨てて」と置いていったゴルゴを読んだところ、これが結構オモシロくて、「面白いからもっと貸して」と言ったらなんと新年早々(2日です)段ボール2箱分のゴルゴが届いたのである。その数100余冊。こうして一日に最低一冊のゴルゴな日々が始まったのである。 でも、じつは最初はぜんぜん馴染めなかったんだよね、あの世界。だって冒頭でいきなり、40字×30行くらいの背景説明があるわけ。それもKGBがどうしたとか、冷戦がどうのって社会科の教科書みたいな説明が延々と。で、人間関係なんかも一応描かれてるんだけど、もーこれが笑えるくらい紋切り型っていうか、稚拙っていうか、底が浅いっていうか。女が登場すると大抵はゴルゴとからんじゃうし、んで大抵「私をここまで燃え上がらせたのはアンタだけよ!」とか言ってるし。しかもほとんどの場合、結末がビックリするほど唐突。どう考えても不可能な設定なのに「…あ、あいつはプロだ!」の一言で収まる。延々と長いマクラと複線を続けておいて、バサッとぶった切り、容赦なくENDマーク。「…残り3ページくらいしかないのに、あの件も、あの人のことも何も解決してないぞ…」と不安に思ってると、案の定最後の2コマで無理矢理な説明をして終わり、とかフツーにありますからね。しかも眉間を撃ち抜かれた人が「…そ、そうだったのか…」とかいって、4コマ分くらいの無茶苦茶長い回想したりしてますからね。 と、まあゴルゴの世界はまったくもって私の常識をことごとく裏切る状況設定&展開のオンパレードなのであるが、なにゆえ今年の抱負がゴルゴなのか、といえば、ゴルゴが水戸黄門もビックリの大いなるマンネリだからだ。そう私は今年一年、自分の生活をできる限りマンネリ化させ、ルーティンを確実にこなす、ということに焦点をあてたいのだ。最近、お気に入りの大学教授、内田センセイもルーティンの大切さを繰り返し説いている。「原稿を書いていて、ふっと何かが降りてくる瞬間がある。すべてがわかったような、幸せな瞬間が。でもそれはその前に果てしないルーティン作業をこなした場合のみ起こり得るのだ。」と。またイチローウォッチャーを自認する山本グルメ益博によると、イチローはベンチから出て守備に立つまでの歩数が、毎回一緒なのだそうだ。これってルーティンの極みではないですか。 デザイナーとかプランナーとか、いわゆるクリエーティブといわれる仕事に携わる人の中には「自由気ままで何にも縛られず、つねに新しいことを求める刺激的な生活」こそがクリエーティブの源と思っているフシがあるけど、じつはこれは勘違いじゃないかと最近つくづく思うのだ。クリエーティブな発想って、自分の意志とは無関係にふって沸いてくるもののように思われているけど、その「ふってくる瞬間」って、じつはある程度、意識的に作り出すことができるのではないか、と最近思うようになった。クリエーティブをつくりだす装置、それはルーティンなのだ。 服装に言葉遣い、マナーから仕草まですべてがいつもマシーンのように同じ、女が出てくればいつも同じようにコトをいたし、女はいつも同じ感想を述べ、お話の結末はゴルゴの圧勝…と、毎回毎回泣けるほどわかりやすいゴルゴの世界。ルーティンの大切さに気づきつつある私にとって、この大いなるマンネリこそがストライクゾーンど真ん中なのでありました。 そしてゴルゴは余計なことを考えない。それも大変よろしい。「バガボンド」がますます武蔵の内面を描く方向に爆走し、要するに新手の自分探しストーリーか、コレ。と面倒くさくなってきたところに、ゴルゴの内面のなさ(だってゴルゴの台詞がほとんどないもん)は、ヒジョーに新鮮であった。 そう。ダンスも同じだと思うのだ。ミュージカリティだの、オリジナリティだの、スタイルだのというものは、結局はベーシックをこなした先にしか、生まれないのだ。そして考えるより先にステップを踏め!と。ダンスも仕事も生活も、考えたらアカン。こなすのみ、なのだ。 ![]() すっかりゴルゴなわが家。この調子で100冊強ある。 ■
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by tinyRabbit
| 2007-01-22 16:20
| Rules
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